前回、
「片付けても、なぜか元に戻る」
という話を書きました。
物を使う。
戻さない。
「あとで片付けよう」
と、とりあえず置く。
そして数日後。
\いつもの部屋/
これを繰り返しているうちに、
「もしかして、片付けることより“戻す”ことの方が難しいのでは?」
と思うようになりました。
だったら話は簡単です。
ちゃんと物の住所を決めて、使ったらそこに戻せばいい。
ハサミは引き出し。書類はファイル。薬は棚。日用品は収納ボックス。
よし、完璧。
全部しまう。
机の上、スッキリ。
床もスッキリ。
視界に物がない。
美しい。
これぞ私が求めていた部屋。
そして数週間後。
ドラッグストアに行く。
「あ、歯磨き粉そろそろなかった気がする」
買う。
帰宅。
…………。
いる。
新品の歯磨き粉がいる。
しかも、
2本。やっちまった。
別の日。
「あれ、爪切りどこだっけ?」
探す。ない。
机。ない。
洗面所。ない。
「なくしたかな……」
仕方ない。
買う。
数日後。
引き出しを開ける。
いる。
爪切り。
めちゃくちゃいる。
なんなら、
「ずっとここにいましたけど?」
みたいな顔をしてやがる。
いや、お前。
そこにいたなら言って???
……言うわけない。
爪切りだから。
こんなこと、ありませんか?
片付けるために、
ちゃんと収納した。
ちゃんと見えないところにしまった。
部屋はきれいになった。
なのに今度は、
しまった物の存在まで頭から消える。
私の場合、
「物をなくす」というより、
見えなくなった瞬間、その物について考えなくなる
みたいなことが結構あります。
そして必要になったとき、
「ない」
と思って探す。
見つからない。
買う。
あとから出てくる。
増える。
増えたから収納する。
見えなくなる。
また忘れる。
……。
待って。
片付けようとするほど物が増えてない???
今回は、
「散らかっていると困る。でも、きれいにしまうと今度は忘れる」
という、
なんとも面倒くさい私の収納問題について、
ADHD当事者としてのやらかしと、作業療法士としての視点から考えてみます。
「しまう」って、物を消す魔法なのかもしれない
私には、ものすごく分かりやすい収納があります。
机の上です。
収納ではない。
ただ置いてあるだけ。
でも、
めちゃくちゃ分かりやすい。
ハサミが机にある。
見える。
「あ、ハサミあるな」
充電器がある。
見える。
「あ、ここにあるな」
郵便物がある。
見える。
「あ、これまだ開けてないな」
当然です。
見えているので。
問題は、
見た目が終わること。
机の上に、
ハサミ、充電器、郵便物、薬、
イヤホン、ボールペン謎のレシート
全部見える、全部分かる。
そして、
全部邪魔。視界がやかましいことこの上ない。
で、「よし。片付けよう」なんて思うじゃないですか。
ハサミを引き出しへ。
充電器を箱へ。
郵便物をファイルへ。
薬を棚へ。
イヤホンをケースへ。
机の上。
何もない。
美しい。
「これだよこれ!!」
と思う。
ところが数日後。
「あれ、イヤホンどこ?」
…………。
収納した私しか知らない。
そして収納した私は、
もういません。
正確には私なんですけど、
数日前の私が何を考えてそこに入れたのか、
現在の私は知りません。
これ、作業療法士として考えてみると面白いんですよね。
物が見えていると、
その物自体が、
「ここにあるよ」
という情報を出してくれます。
郵便物が机にあれば、見るたびに、「開けてない郵便物あるな」と思える。
薬が見えれば、「あ、薬」となる。
つまり私は、頭の中だけで全部覚えているのではなく、
環境に置かれている物から、かなり情報をもらいながら生活している
のかもしれません。
ところが収納すると、その情報が消える。
引き出しを閉める。見えない。
棚の扉を閉める。見えない。
箱に入れる。見えない。
部屋はきれいになる。
でも私の頭の中では、
物まで一緒にログアウトしている。
なるほど。
だから私は、
「散らかっている方が使いやすい」
という、
片付け記事を書く人間としては致命的な現象を起こしているのかもしれません。
見えている物が、「記憶の代わり」になっている?
ここで、もう少し自分の生活を観察してみます。
例えば、机の上に郵便物が置いてある。見た目としては邪魔です。「片付けろよ」と思います。でも、そこを通るたびに郵便物が目に入る。
「あ、これ開けなきゃ」
また見る。
「あ、まだ開けてない」
また見る。
「今日こそ……」
……いや早く開けろよ、という話なんですが(笑)
それでも少なくとも、郵便物の存在そのものは忘れていません。
ところが、「机の上をきれいにしよう!」と思って郵便物を棚の中へ入れる。
視界から消える。
机、スッキリ。
気持ちいい。
そして3日後。
郵便物という概念ごと消えている。
「そういえば、なんか届いてなかったっけ?」
となる。(ならなくて期日を過ぎることもある。)
これ、自分の生活を考えてみると結構いろんなところで起きています。
明日持っていくものを玄関に置く。これは忘れにくい。薬を机の上に置いておく。目に入るから思い出す。返さなければいけないものをバッグの上に置く。嫌でも見る。
つまり私は、「覚えておこう」と頭の中だけで記憶しているというより、物を目に入る場所に置くことで、環境に覚えてもらっている部分があるのかもしれません。
作業療法士として考えても、環境から得られる情報は行動のきっかけになります。
目に入る。
「あ、これやらなきゃ」
と思い出す。
行動する。
逆に見えなくなれば、そのきっかけも減る。
そう考えると、私が物を出しっぱなしにしているのも、全部が全部「片付けるのが面倒だから」ではないのかもしれません。
無意識に、
「見えるところに置いておかないと忘れるぞ」
とやっている可能性もある。
……。
いや。
だからって床に全部置く必要はないんですけどね。
私の脳みそ、対策が極端。
「きれいな収納」と「使いやすい収納」は同じなのか?
私は片付けるとき、つい「見た目」を基準にしてしまいます。
物が出ていない。
机の上に何もない。
収納ボックスが並んでいる。
引き出しの中に全部収まっている。
美しい。
SNSで見る部屋も、だいたいこんな感じです。
「いいな~~。私もこうしたい」
と思う。
そして収納ボックスを買う。
物を入れる。
蓋を閉める。
完璧。
数週間後。
「この箱、何入ってるんだっけ?」
終わりです。
しかも、箱を開けるのも面倒くさい。
蓋を開ける。
中を見る。
「あ、違った」
閉める。
隣を開ける。
「あ、ここか」
私にとっては、この数手が意外と大きい。
前回の記事で「戻す」を分解してみたときにも思いましたが、片付けって一つの行動に見えて、その中に小さな工程がたくさんあります。
そして今回は、さらにもう一つ。
しまった後、その物の存在を思い出せるか?
という問題まで出てきました。
戻しやすい。
取り出しやすい。
どこにあるか分かる。
必要なときに存在を思い出せる。
それを全部考えると、「とにかく見えないようにしまう」が、私にとって一番使いやすい収納とは限らない気がしてきます。
部屋の見た目としては100点。
でも、私の生活との相性が20点だと元も子もないですよねぇ・・・。
かといって、全部見えると今度はうるさい
じゃあ全部出しておけばいいじゃん。
……ともいかない。
これが面倒くさいところです。
机の上にハサミ。
イヤホン、薬、充電器、書類、ティッシュ、財布、鍵、郵便物・・・
全部見える。
忘れません。
でも、うるせぇ。
視界に情報が多い。
「あ、郵便物」
「あ、充電器」
「あ、このペンここにあったんだ」
「そういえばこれ……」
と、一個目に入るたびに意識がそっちへ持っていかれることがあります。
机でブログを書こうとしていたのに、郵便物を見る。
「あ、開けなきゃ」
開ける。
中身を見る。
「これ申し込まないと」
スマホを開く。
その途中で通知を見る。
……。
ブログ、どこ行った??
前の記事でも書きましたが、私は片付けをしている途中でも、目に入ったものに注意を持っていかれがちです。
つまり、
見えない。
→ 忘れる。
見える。
→ 気になる。
…………。
どないせぇ言いますねん???
隠せば忘れる。
出せば散らかる。
全部出せば注意がそれる。
これはなかなか苦労するわけです(´・ω・`)
「正しい収納」を探していたのかもしれない
今まで私は、片付けがうまくいかないと、
「収納方法が悪いのかな」
と思っていました。
ネットで調べる。
「片付く収納」
「散らからない部屋」
「収納 おすすめ」
そして、良さそうな収納方法を見つける。
真似する。
最初はきれい。
でも続かない。
すると、
「やっぱり私が片付けられないからだ」
となる。
でも、今回自分の行動を見てみて思ったのは、もしかすると万人にとっての“正しい収納”を探すこと自体が、少し違ったのかもしれないということです。
同じ引き出しでも、そこにしまえば存在を覚えていられる人もいる。
私は忘れるかもしれない。
同じオープン収納でも、物が見えて便利な人もいる。
私は注意が持っていかれるかもしれない。
同じ「片付いた部屋」でも、その人がそこで何をするのかによって、使いやすさは変わります。
作業療法士として普段考えているのも、まさにこういうところです。
「一般的にはこうした方がいい」だけではなく、その人が、どんな環境で、何をしたいのか。
それによって、やりやすい方法は変わる。
……なのに自分の部屋では、
「収納とはこういうもの」
をそのまま採用していた。
灯台下暗し。
片付けの目的って、「物を隠すこと」だったっけ?
ここまで考えて、そもそものところに戻ってきました。
私は、なんのために片付けたいんだろう。
部屋をきれいに見せたい。
それもあります。
でも本当は、
必要なものが見つかる。
使いたいときに使える。
物をなくさない。
同じものを何個も買わない。
机で作業できる。
床を歩ける(笑)
そういう、生活しやすい状態を作りたいんですよね。
だったら、「物が見えないこと」だけをゴールにするのは違うのかもしれません。
きれいに収納できた。
でも存在を忘れる。
必要なときに見つからない。
また買う。
物が増える。
これでは、
収納には成功しているのに、生活には負けている。
なんとも悲しい。
逆に、多少物が見えていたとしても、どこにあるか分かる。戻しやすい。必要なときに思い出せる。
そっちの方が、私には使いやすい可能性もあります。
見た目100点を目指して使えなくなるより、見た目70点でも生活しやすい。
そういう片付けも、ありなのかもしれません。
見せる? 隠す? その前に考えたいこと
じゃあ結局、
「見える収納にすればいいの?」
「ラベルを貼ればいい?」
「透明ケースがいい?」
……という話になってくるのですが。
今回は、そこまでは行きません。
というのも、前回の「維持できない問題」と今回の「しまうと忘れる問題」を並べてみると、私の片付けにはもう少し考えることがありそうだからです。
戻すまでに何工程ある?
その物はどこで使う?
どこに置きがち?
見えなくなると忘れる?
逆に、見えていると気が散る?
そもそも、どのくらいの頻度で使う?
こうやって見ていくと、片付けって単純に、
「物を収納する作業」
ではないのかもしれません。
自分が生活するときに、
どうやったら物を使いやすいか。
どうやったら戻しやすいか。
どうやったら忘れにくいか。
そして、どうやったら視界がうるさくなりすぎないか。
そのバランスを探す作業なのかもしれない。
……。
めんどくさ。
片付けるだけのつもりだったのに、だいぶ壮大な話になってきました。
でも、自分の部屋を見ながら考えていると、少なくとも、
「きれいにしまえない=片付けができない」
だけではなさそうです。
見えないと忘れる私には、私なりの使いやすさがある。
注意がそれやすい私には、私なりの「見えすぎない方がいい場所」もある。
だったら次に考えたいのは、
「正しい収納は何?」ではなく、「私にとって使いやすい収納って何?」
なのかもしれません。
とりあえず。
この記事を書きながら、
「そういえば予備の歯磨き粉あったっけ?」
と思って洗面台をを見てきました。
ありました、それも2本。
……。

危なかった。
この記事を書いてなかったら、たぶん3本目買ってた。

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