片付けても、なぜか元に戻る。ADHDの私、「片付ける」より「維持する」が難しい話

ADHD

片付けました。

机の上、きれい✨

床、見えてる(笑)

服、しまった。

謎の紙、ない。

完璧。

「やればできるじゃん、私」

ちょっと気分がいい。

なんなら、この部屋を永遠に維持できるような気さえする。

そして数日後。

…………。

なんで?????

机の上には郵便物。

脱いだ服は椅子の上。

床にはバッグ。

充電器はなぜか部屋の真ん中にいる。

そして、

「あとで片付けよう」

と思って置いた謎の小物たち。

おかしい。

ついこの間、片付けたはずなんですが。

私の部屋、

自動で散らかる機能でもついてる??

何たる他責思考か。

全部私です。

私が出した。

私が置いた。

私が戻さなかった。

犯人、ずっと部屋にいる。

でも、ここで一つ疑問が出てきました。

私はこれまで、

「片付けが苦手」

なんだと思っていました。

でもよく考えると、たまになら片付けられるんですよね。

「今日は片付けるぞ!!!!」

とスイッチが入った日は、むしろ結構やる。

机もやる。床もやる。引き出しもやる。

勢い余って、普段絶対掃除しないところまで掃除する。

そして疲れる。

でも、きれいにはなる。

問題は、その後です。

すぐ元に戻る。

使ったハサミを元の場所に戻す。

脱いだ服をしまう。

届いた郵便物を処理する。

バッグを定位置に置く。

こういう、一個一個は大したことのない行動が、なぜか続かない。

そして一個置く。

二個置く。

三個置く。

気づけば、

\いつもの部屋/

……。

もしかして私、

「片付ける」のもダメだけど、「片付いた状態を維持する」のも苦手なのでは??

今回はそんな疑問から、

「なぜ私は、一度きれいにした部屋を維持できないのか?」

を、ADHD当事者としての自分のやらかしと、作業療法士としての視点を混ぜながら考えてみます。


「元に戻す」って、本当に一つの動作?

例えば。

家に帰ってきました。

バッグを置きます。

普通に考えたら、

「バッグを定位置に戻す」

だけです。

数秒。

簡単。

……のはず。

でも、私の実際の行動を見てみると、

帰宅。

↓

鍵を開ける。

↓

「あっつ……」

↓

とりあえずバッグを床に置く。

↓

上着を脱ぐ。

↓

スマホを見る。

↓

「あ、LINE来てる」

↓

返信する。

↓

喉乾いた。

↓

冷蔵庫へ。

↓

お茶飲む。

↓

…………。

バッグ、終了。

玄関付近で息絶えています。

翌朝。

「バッグ邪魔だな」

と思う。

でも仕事に行くので、そのまま持っていく。

帰宅。

また置く。

翌日。

また持っていく。

……あれ?

もしかしてここ、

定位置になりつつある??

こういうことが、バッグだけではありません。

ハサミ。充電器。服。郵便物。イヤホン。

一回使ったものを、「元の場所に戻す」という小さな行動。

これが毎日何度もあります。

つまり、部屋をきれいに保つには、一回大掃除をするだけでは足りない。

毎日の生活の中で、

出す。

使う。

戻す。

出す。

使う。

戻す。

これを何度も繰り返す必要がある。

……。

こう考えると、

維持って結構すごいことしてない??


「戻す」を分解したら、意外と長かった

作業療法士として人の動作を見るとき、一見一つに見える行動を細かく分けて考えることがあります。

なので、自分の「服をしまう」を分解してみました。

脱いだ服を持つ。

収納場所まで行く。

引き出しを開ける。

どこに入れるか判断する。

必要なら畳む。

入れる。

引き出しを閉める。

これでようやく終了。

一方、椅子に置く場合。

服を脱ぐ。

置く。

終了。

……。

強い。

椅子、強すぎる。

圧倒的な工程数の少なさ。

収納が七手くらいかかっているところを、椅子は一手で終わらせてきます。

そりゃ負けるわ。

「服を戻すくらい、すぐできるじゃん」

と思っていたけれど、実際にはいくつかの小さな行動がつながっています。

そして生活の中では、服を戻すことだけをしているわけではありません。

帰宅したら、お腹が空いている。

スマホに通知が来る。

トイレにも行きたい。

テレビもついている。

明日の準備もしないといけない。

その中に、

「服を畳んで、正しい引き出しに入れる」

が割り込んでくる。

一個一個は簡単でも、それを毎回やるとなると話が変わってくるのかもしれません。


「あとで」が、部屋を少しずつ侵食する

そして私の部屋には、かなり危険な言葉があります。

「あとで片付ける」

郵便物が届く。

今は面倒。

「あとで見よう」

机へ。

服を脱ぐ。

今は畳みたくない。

「あとでやろう」

椅子へ。

ネットで買ったものが届く。

段ボール。

「あとで捨てよう」

床へ。

この時点では、一個一個は大したことありません。

机に封筒一枚。

椅子に服一枚。

床に段ボール一箱。

まだ大丈夫。

しかし翌日。

郵便物の上に、新しい郵便物。

服の上に、新しい服。

段ボールの横に、紙袋。

そして数日後。

村ができている。

最初は仮置きだったはずなのに。

いつの間にか、

「郵便物エリア」

「一回着た服エリア」

「なんかあとでやるエリア」

が誕生している。

私はこれまで、

「散らかってきたな」

と思った時点で問題が始まっていると思っていました。

でも実際には、そのずっと前。

最初の、

「今はいいや。あとで」

から始まっているのかもしれません。


片付けた場所と、生活する場所は同じじゃない

もう一つ、自分の部屋を見ていて気づいたことがあります。

片付けるときの私は、

「どこにしまったらきれいに見えるか」

を結構考えています。

バッグはクローゼット。

書類は棚。

充電器は引き出し。

うん。

きれい。

しかし、生活している私は違います。

バッグを使うのは、出かけるとき。

帰ってきたら、玄関から部屋へ入る途中で降ろしたい。

充電器を使うのはベッド。

郵便物を見るのは机。

つまり、

「収納したい場所」と「実際にその物を使う場所」がズレていることがある。

これ、作業療法士として考えると結構面白いです。

人の行動って、本人の能力だけで決まるものではありません。

その人が何をしているか。

どんな場所でしているか。

周りに何があるか。

どんな手順が必要か。

そういう環境との組み合わせでも、やりやすさは変わります。

なのに自分の片付けになると、

「決めた場所に戻せない私が悪い」

で終わらせていました。

でも、

毎日バッグを床に置いているなら。

毎日服を椅子に置いているなら。

毎日郵便物を机の端に積んでいるなら。

そこには単なる「だらしなさ」だけではなく、

その場所に置きたくなる何か

があるのかもしれません。

……いや、椅子に服を積み上げていいという話ではないんですけどね(笑)


「片付ける」と「維持する」は、別の作業なのかもしれない

ここまで自分の行動を見てみて、一つ思いました。

私は、

「片付ける」と「維持する」を同じものだと思っていた

のかもしれません。

片付ける日は、片付けることに集中できます。

「今日はやるぞ!」

と決めて、ある程度まとまった時間を使う。

でも維持は違う。

仕事から帰ってきたとき。

ご飯を食べたあと。

着替えたとき。

何かを使ったあと。

普段の生活の途中で、

小さな「戻す」を何度も差し込む作業

です。

これは、

「休日に2時間片付ける」

とは、かなり性質が違う。

だから、

一度きれいにできたのに維持できないからといって、

「せっかく片付けたのに。またダメだった」

と考えるのは、少し違うのかもしれません。

片付ける力と、

維持するための仕組み。

この二つは、分けて考えた方がよさそうです。


「ちゃんと戻す」より先に、見たいもの

私は、どこで物を置いている?

なぜそこに置いている?

元の場所に戻すまでに、何工程ある?

生活している場所と、収納場所は合っている?

まずはここなのかもしれません。

「ちゃんと戻せる人になる」

ではなく、

自分は、どんな環境なら戻しやすい人なのか。

作業療法士として考えるなら、私はこっちの方が気になります。

そして自分の部屋を見渡す。

椅子の服。

床のバッグ。

机の郵便物。

……。

なるほど。

教材、多すぎ。

しばらく研究には困らなそうです(笑)

片付けても、なぜか元に戻る。

それをずっと、

「私がだらしないから」

で片付けていました。

でも、片付けた状態を維持するには、日常生活の中で小さな「戻す」を何度も繰り返さなければならない。

そして、その「戻す」には意外と工程がある。

だったら次に考えたいのは、

「どう頑張って戻すか」ではなく、「どうしたら戻しやすくなるか」。

ここから先は、収納そのものより、

生活の動線。

物を使う場所。

戻すまでの手間。

そして私の大好きな、

「とりあえずここ」

をどうするのか。

このあたりを、もう少し自分の生活で実験してみようと思います。

とりあえず今日は。

この記事を書くために机の上を観察していたら、

3日前の郵便物を発見しました。

……。

まずこれ、開けます。


コメント

タイトルとURLをコピーしました