片付けよう!と思ってさ、引き出しの掃除から始めようとするでしょ?
で、とにかく物が多くてぐっちゃぐちゃだから、断捨離するぞー!!って意気込むわけ。
小学校で使っていた下敷き、リコーダー、自慢のねりけし・・・。
ぜっったい使わんやん、いらんやんこんなん(笑)
いままでありがとうございました、さぁごみ袋に入れy
いつか使うかもしれない。なんで捨てたんや~ってなるのが嫌だ!!
なによりもったいない!物は大切にしなきゃだよね!
あーーーー捨てられねぇ!!なんでいっつもこうなるんだよもう(´・ω・`)
で、何分たっても物は減らない、片付かない。なんなら元の状態よりも若干ひどいかもしれない。
最悪です。
・・・こんなこと、ありませんか?(笑)
片付けってさ、ずっと「物を元の場所に戻す、置く場所を整理して決めておく」みたいなことが苦手なんだと思ってたのね、私。まぁ、それも苦手なんだけれども・・・。
でも最近、片付けについて自分の行動をいろいろ観察していて、もう一個かなり面倒なところに気づきました。
捨てるかどうかを決めるのが、めちゃくちゃ疲れる。
いる? いらない? また使う? いつ使う? これ高かったよな。まだ使えるよな。同じもの持ってたっけ? 捨ててから必要になったら嫌だな。メルカリなら売れる?
……。
一個捨てるだけなのに、会議が長い。
自問自答だもの、全然決まらないよねぇ。
で、最終的にはいっつも
「まあ、とりあえず取っておくか」
です。なんて便利な言葉でしょう。
「とりあえず取っておく」、強すぎる。
何も決めなくていい。捨てて後悔することもない。売る手間もない。今すぐ考えなくてもいい。一瞬で会議が終わります。
その代わりに、
物は一個も減らぬ。
前回は、「見えないところにしまうと存在ごと忘れる」という収納問題について書きました。
でも、そもそも収納する物が多ければ、収納はどんどん難しくなる。じゃあ物を減らせばいい。
……と思ったら。
今度は、
「何を捨てる?」
という新しい問題が出てきました。
片付けって奥が深いわぁ✨
いやいやいや敵キャラ多くない???
そんな「捨てるかどうか決められず、結局全部残してしまう」問題について、ちまちま分析してみました!
「捨てる」って、ゴミ箱に入れるだけじゃない
「いらないものを捨てる」。
言葉にすると、めちゃくちゃ簡単です。
物を持つ。ゴミ箱へ。
終了。
……違うんだよなぁ、これが。
その前に、
「これは捨てていい物なのか?」
を決めなければいけない。行動に移す前段階に、捨てる・捨てないを考える必要があるわけです。
例えば、何年も使っていない謎のケーブルが出てきたとします。
使ってない。じゃあ捨てる。これで終わればいい。
でも私の頭の中では、
「これ何のケーブルだっけ?」「何かに使うやつだった気がする」「でも最近使ってないよな」「というか何用?」「捨てたあと必要になったら困る?」「似たやつ他にもあるな」「どれがどれだ?」
…………。
ケーブル一本に、何分使う気??
とまぁ、こんな感じで脳内は非常にうるさいことになっております(笑)
さて、「捨てる」という作業をもう少し細かく見てみましょう。作業分析というやつですね。
物を見る。何なのか確認する。最近使ったか思い出す。今後使う可能性を考える。他に同じ用途の物があるか考える。捨てた場合に困らないか考える。残すか捨てるか決める。捨てるなら、どう処分するか考える。
場合によっては、
売る? 譲る? 燃えるゴミ? 燃えないゴミ? 粗大ゴミ?
まで出てくる。
「捨てる」というのは、意外と頭を使うらしいです。
片付けているつもりなのに、実際には物を一個手に取るたびに、小さな判断を何度も繰り返している。
すると、当たり前に脳は疲れてしまいます。で、「もういいや」となるわけです。
そこで登場するのが、
「とりあえず取っておく」
です。
これなら何も決めなくていい。これ以上に楽な判断はありません。
だから私は、物を捨てられないというより、
「捨てるかどうか決めるまでに、脳がキャパオーバーなんじゃない?」
と思い始めました。
「捨てる」より「残す」の方が圧倒的に楽
ここでちょっと気になったのが、私が最終的に選びがちな「とりあえず取っておく」という選択です。
捨てる場合は、「これはもう使わない」と決めなければいけない。一度捨てたら基本的には戻ってこないし、「あとで必要になったらどうしよう」まで考え始めると、なかなかゴミ袋に入れられません。
一方で、残す場合はどうでしょう。
「これは絶対に必要だから残す!」なんて、別に決めなくてもいいんですよね。
「分かんないから、とりあえず残す」
ができてしまう。
これがめちゃくちゃ楽。
さっきの謎のケーブルだってそうです。何に使うか分からない。最近使った記憶もない。でも、何かに使うやつだった気がする。
捨てるなら、「今後も使わないだろう」とある程度判断しないといけない。
でも残すなら、
「まぁ、分からんし置いとくか」
で終了。
つまり「とりあえず取っておく」って、残すことを決めたというより、決めることそのものを先送りしているとも考えられます。
未来の私に丸投げです。
便利ですねぇ。
未来の私からしたら、たまったもんじゃありません。
そして数年後。
また片付けを始めた私が、引き出しの奥から同じケーブルを発見する。
「…………これ何のケーブルだっけ?」
見覚えはある。でも何に使うかは分からない。
「まあ……何かに使うかもしれないしなぁ」
そして再び引き出しへ。
判断、再延期。
こうしてお部屋には、今までの物+これから買うもの、のミルフィーユが形成されていくわけです。 地層かよ・・・。
でもね、さっき言ったみたいに、
「捨てる」は、物を手放すだけではない。その前に「これは不要だ」と判断して、その判断にある程度納得する必要がある。
でも「とりあえず残す」なら、その判断を今しなくて済む。
・・・となるわけです。
そりゃあ、頭が疲れてきたときに楽な方へ流れるのも、当然の話です。
で、私の場合はその判断を先送りするための魔法の言葉が、
「いつか使うかもしれない」
なんでしょうね。
……。
小学校のリコーダーとか絶対使わないのにね・・・。
「もったいない」と「いつか使うかも」が強すぎる
さて、私が物を捨てようとすると、かなりの確率で出てくる言葉があります。
「もったいない」
これはねぇ、もう誇らしいまでありますね(笑)
例えば、ほとんど使っていない文房具が出てきたとします。
最近使ってない。なくても困ってない。というか、そこにあったことすら忘れてた。
じゃあ捨てればいいじゃん。
……と思うでしょ?
でも、いざゴミ袋に入れようとすると、
「いや、まだ使えるしなぁ……」
となる。
服でもそう。
全然着てない。たぶん今後も着ない。
でも、「これ結構高かったんだよなぁ」「まだきれいなんだよなぁ」「部屋着なら使えるか?」なんて考え始める。
そして最後には、
「まぁ、まだ使えるし取っとくか」
となる。
いやいやいや。
今まで使ってなかったやん、今後も出番ないって。
「まだ使える」と「自分が使う」は別の話なのに、捨てる瞬間になると急にその物の可能性を信じ始めるんですよね。
そして、もう一つ。
「捨てたあとに必要になったら嫌だ」
これも実に厄介でして、
今まで何年も使っていない。存在すら忘れていた。
なのに、捨てようとした瞬間だけ、
「来週使うことになったらどうしよう」
みたいな気持ちが出てくる。
小学校のリコーダーですら、
「いや……もしかしたら……」
となる。
何が「もしかしたら」やねん。捨てろや潔く。
行けたら行く、は来ないのと同じように、いつか使う、は使わないのです。
捨てる。
↓
あとで必要になる。
↓
「あーーーー!!捨てなきゃよかった!!」
こうなるのが嫌、というだけで物を捨てられなくなってしまう。
つまり、「物を大切にしたい」だけではなくて、捨てることで起こるかもしれない後悔を避けたいというのもありそうです。
そう考えると、「もったいない」「いつか使うかもしれない」「あとで必要になったら嫌だ」。
このへんは全部、物を残す方向に考えを広げてしまっている。
しかも厄介なのが、どれも完全に間違っているわけではないこと。
本当にまた使うこともあるかもしれない。買い直したらお金もかかる。物を大切にすること自体は悪いことじゃない。
だからこそ、
「はい、これは考えすぎ!捨てる!」
と簡単にはならないんですよね。
物を一個手に取るたびに、「今使っているか」だけじゃなく、過去にいくらで買ったか、まだ使えるか、未来に使う可能性はあるか、捨てたら後悔しないか。
現在・過去・未来。
全部召喚。
そりゃ疲れるわ。
片付けをしていただけなのに、いつの間にか私は、
物一個の人生について考えています。
……。
リコーダー、お前の将来まで私が背負わなきゃダメ???
物が多いほど、「決める」も増えていく
で、ここまで考えていて、ちょっと嫌なことに気づきました。
物が多い。
↓
片付かない。
↓
「よし、物を減らそう!」
↓
一個ずつ、捨てるかどうか考える。
……つまり。
物が多ければ多いほど、片付けるときに必要な判断も増える。
当たり前といえば当たり前なんですけどね。
明らかなゴミなら簡単です。空のお菓子の袋とか、使い終わったティッシュとか。
これは捨てられます。(限定パッケージとかは無理)
問題は、
「ゴミではない。でも今は使っていないもの」
です。
昔使っていた文房具。着ていない服。なんかでもらった小物。用途不明のケーブル。いつか使おうと思って買ったもの。
こういうやつ。
ゴミじゃないんですよね~まだ使える。
だから、一個ずつ考えることになる。
「これはいる?」「最後に使ったのいつ?」「また使う?」「捨てたら後悔する?」「売れる?」「誰かにあげる?」
考えて、考えて、考えて・・・
最初は「今日は断捨離するぞー!!」と元気だった私も、だんだん面倒くさくなってきます。
そして20個目くらいになると、
「これは……まぁいいか」
「こっちも一応……」
「これもなんか使いそう……」
となってくる。
最終的には、
全部いる!!!!
みたいな判定になる。
いやいやいや。
絶対そんなことない。
さっき小学校の下敷き出てきたぞ。
で、結局は、疲れてくればくるほど「捨てる」と決めるより、
「とりあえず取っておく」
の方に流れちゃう。
すると物は減らない。
物が減らないから、次に片付けるときも大量の物を一個ずつ判断することになる。
また疲れる。
また残す。
また物が減らない。
…………。
堂々巡り、とはこのことか。
片付けられないから物が多い。物が多いから片付けるのが大変。
くらいに思っていましたが、私の場合、その間にもう一個、
「物が多いほど、判断しなければならないことも増える」
が入っているのかもしれません。
これ、収納場所の問題だけじゃないんですよね。
物が100個あれば、100個分の「これはどうする?」が存在する。
もちろん全部を毎回考えるわけではないけれど、物を減らそうとした瞬間、それまで棚や引き出しの中で静かにしていた奴らが、
「私どうする?」
「俺は?」
「これは残す?」
と、一斉に会議を求めてくる。
うるせぇ。
ただでさえ私の頭の中うるさいのに、物まで会議に参加してくんな(笑)
こう考えるとさ、単純に「片付けが嫌いだから」なだけじゃなくって、ちゃんと嫌いな理由が見えてくるよね。
同じような方、いるかしら??(笑)
こんな感じで、お片付けを分析してみました。また次回、お会いしましょう。
・・・リコーダー、どうしよう。



コメント